原作情報
我々は宇宙人 原作: 不明
レビュー
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整理できない感情を抱えて
観終わったあと、人間の描写の生々しさが残った作品だった。
その中でも特に印象に残ったのが、小学校3年生の描写のリアルさだった。
中でも忘れられないのが、翼の母親が作り置きしたカレーをテーブルに置き、「温めて食べて」とメモを残していたシーン。翼はそれを温めることもなく、冷蔵庫から牛乳を出し、冷めたカレーに直接ドバドバとかけて食べていた。
見ていて少し可哀想な気持ちになり、胸がざわついた。でも同時に、「小学校3年生なら、こういうことを本当にやりそうだ」と思った。
この作品には、そんな「実際にありそう」と感じさせる描写が随所にある。登場人物の気持ちも、行動や表情、置かれている状況から、見る側がいろいろと想像できるようになっていた。
そしてふたりの家庭環境についても少し考えさせられた。暁太郎の家には、おばあちゃんや妹もいて、少なくとも家に帰れば誰かしら家族がいる家庭だったように見えた。一方の翼は、どちらかといえば放っておかれているように感じる家庭環境だった。
そう考えると、むしろ翼のほうが、後の暁太郎のような生きづらさを抱える大人になっていても不思議ではないように思えた。
実際、翼には中学生の頃に少しぐれたような描写もあったのだが。子どもの成長に家庭が与える影響は大きいと思うので、ふたりのその後が対照的だったことには少し意外さも感じた。それと同時に、やった側が家庭を持ち、人並みの幸せという環境を手に入れ、やられた側はずっと苦しみ続けるという状況もリアルなのかもと感じた。
また、成人した暁太郎が翼に会いに行く場面は少し気になった。暁太郎はそこで初めて、ずっと小夏からもらったと思っていた手紙を、実は翼が書いていたことを知る。あの手紙は暁太郎にとって、過去の中に残されていた救いのようなものだったはず。それがその場で突然ひっくり返される。
しかも、そもそも何十年も抱えてきたものがあって翼に会いに来ている。そこへさらに自分にとって最悪とも取れる事実を突きつけられたのなら、現実では翼を傷つける行動など、危険なことが起きても不思議ではない場面に感じた。しかし暁太郎は翼に手を出すこともなく、そのまま帰る。
もちろん、それも暁太郎という人間の性格なのかもしれない。ただ、それまで人間の弱さや醜さ、子どもの残酷さまでかなり生々しく描いてきた作品だけに、ここだけは少し意図的に描写を抑えたのかな、という感覚が残った。
そして最後に、ふたりがそれぞれの車から何度も「ばいばーい」と言い合うシーン。子どもの頃のふたりを思わせる場面でもあり、本来なら温かく感じてもよさそうだが、妙に不気味に映った。その不気味さ自体も、もしかすると制作側が意図したものなのかもしれないが。
この物語は、敏感なふたりの主人公の話だからこそ、物事を前向きに割り切って生きられる人には、あまり理解できない部分もあるのかもしれない。
しかし、小学校から思春期、そして成人まで。誰もが通る時間や人との関わり合いの中で、孤独、嫉妬、思い込み、傷つき方などによって、それぞれの人生が少しずつ変わっていく。
この作品は、そうしたものをきれいに整理するのではなく、ときにこちらの心をえぐるような生々しさで描いていたと思う。
だからこそ、わずかに現実味から外れて見える場面まで強く気になってしまった。それほど、この作品の「リアルさ」は高かったと思う。とても印象に残る映画だった。
