第6話のラスト感動した。
手島先生の深いお辞儀の直後、金剛寺さん(元編集者)が漫研の合同誌と安海さんの漫画を読み、漫研の合同誌は買うが安海さんの漫画は買わなかった。
つまり金剛寺さんは安海さんを子ども扱いしていない。「高校生が初めて頑張って作ったんだから、一冊くらい買ってあげよう」をしない。むしろ安海さんを一人の「作り手」として扱っている。これは厳しいけど、ものすごく誠実でもあるし編集者として正しいと思う。この直後、手島先生は金剛寺さんの言葉を聞いたうえで、いや、その言葉を聞いたからこそ「同情じゃありません。」と言いながら漫画を買う。
ここのシーン本当に凄いのが「厳しい編集者 vs 優しい先生」じゃなくて二人とも安海さんを創作者として見ているところ。ただ、見ているものが違う。金剛寺さんは恐らく「作品そのものが、金を払って読者に届ける水準にあるか」を見ているが、手島先生は「この漫画には、まだ未熟でも自分が好きだと思える何かがあるのか」を見ている。だから、金剛寺さん、手島先生どちらの評価も嘘じゃない。そしてここからの描写がとんでもない。
その手島先生の行動と漫画が完売して喜んでいる光景を金剛寺さんが見て少し驚いたような表情をする。でも「私は間違っていました」とは言わない。安海さんの本を読み返すこともしない。自分の「同情では買わない」という姿勢は最後まで変えない。そして、もう一度深く頭を下げる手島先生に、ほんの少し笑って去っていく。手島先生は漫画を描いて苦しんだことも、金剛寺さんに叱られたことも、初めて本が売れて嬉しかったことも、プロになって壊れてしまったことも、全部を持ったまま、今は教師として、漫画を描き始めた子どもたちの横にいる。つまり手島先生は、「あなたがあの時育てようとしてくれた私は、漫画家としては駄目になってしまった。でも、あなたから受け取ったものは、ちゃんと次の人間に渡しています」と、言葉を使わず金剛寺さんに見せているのだと思う。そして金剛寺さんのあの微笑みは、「そうですか。それならよかった」という返事に見える。
金剛寺さんに、「手島さん、いい先生になりましたね」なんて言わせない。手島先生にも、「先生のおかげで今の私があります」なんて言わせない。生徒たちはそんな二人の十年間なんて知らず、「完売だー!」とただ喜んでいる。その後ろで、大人二人だけに分かる時間が流れている。これが凄く美しい。
言葉、セリフとして説明するのではなく、全て表情と行動で描写した第6話ラスト。一生忘れない回になったと思う。

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